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姫路の菓子について

 城下町姫路には茶道の流行に伴って、多くの銘菓が生まれた。江戸時代の後期から藩主酒井家の歴代の当主が教養人であり、茶の湯を好んだことから姫路の文化は大いに発展することとなった。
現代もその伝統は受け継がれていて、中でも「玉椿」「きぬた」「三左衛門」「清十郎最中」「御座候の回転焼き」等々様々な味が楽しまれている。また、茶用の和菓子のみならず藩主の命により、長崎の出島まで藩士が派遣され、ヨーロッパの油菓子の製造技術の習得がなされ、船場本徳寺の門前である博労町にて油菓子を生産し始め、町内には数十軒もの菓子屋が軒を連ね、町全体がお菓子の匂い漂う状態であった。
姫路の和菓子は茶の湯に使われるようになった半生菓子系のものと油で揚げた油菓子系のものとに大別される。油菓子は「カリントウ」「黒ねじ」「奉天」等があるが、中でも「カリントウ」が有名で、ポルトガル・オランダ船により長崎に伝えられたものが全国に広まったもので、姫路では藩の援助育成の元で各地から集積された良質の小麦粉・菜種油等を活用することになり、「姫路駄菓子」として全国の約60%の生産を誇ってその名を馳せることとなった。
 本徳寺前の軒を連ねて大繁盛していた駄菓子屋も戦災によりすべて焼失してしまったのである。
 ちなみに、「江戸カリントウ」と「播州カリントウ」の違いは「江戸カリントウ」は小麦粉強力粉を「やわこね」し、油でふっくらと揚げたもので、上流階級のお菓子であり、一方「播州カリントウ」は小麦粉薄力粉を「かたこね製法」で作り、じっくりと油で揚げた素朴で生地にうまみ味がある。保存食や土産物として発展してきた駄菓子である。

copyright by みかしほ学園 日本調理製菓専門学校・日本栄養専門学校 学園長 水野昭二


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